わらび餅

本物を知らないってもったいない!

先日、仕事帰りに妻とスーパーに立ち寄ると、私の目に「わらび餅」が飛び込んで来ました。もちもちして美味しそうなその姿に惹かれつつ、夜の9時を回っていたため「今から食べるべきか我慢するべきか」と、誘惑との戦いが始まりました。

買うかどうかはさておき、まずは一旦手に取って眺めてみることに。

パッケージを見ながら気になったことが一つありました。

「わらび餅とは一体なんぞ?」

本物のわらび餅

9時をまわり人気(ひとけ)少なくなったスーパーの和菓子売り場で、「わらび餅」とネットで検索してみました。すると、農林水産省のホームページにこう記されてありました。

わらびもちは、わらび粉、水、砂糖を鍋で火にかけ、冷やし固めた菓子のことである。
わらびもち / 日本伝統食図鑑 / 農林水産省
https://traditional-foods.maff.go.jp/menu/warabimochi

わらび餅
photo by 写真AC

わらび粉で作られているお菓子が、わらび餅。なるほどなるほど。私は、シンプルでわかりやすい説明に納得しながら、手に持ったわらび餅のパックの裏を見ました。そのときハッとしました。

「わらび粉が入っていない……。」

わらび餅の成分表示を見たところ、わらび粉が入っていないのです。

「おーい! わらび粉が入っていないわらび餅というのは、どういうこと!?」

農林水産省のサイトに、さらに続きが書かれてありました。

わらび粉は貴重なものであり、一般販売されているものは、わらび粉の代わりにさつまいもやいも類などから採れたでんぷんを用いてつくられることもある。

わらび粉は貴重であるため、スーパーなどではわらび粉を使わないか、または少量使用のわらび餅が販売されているというのです。

私がこれまでスーパーで買って食べていたわらび餅は、本物っぽいわらび餅で、本物のわらび餅を味わうことなく過ごしてきたということです。それを知ってどこか、判定負けしたボクサーの様な気分で立ち尽くしてしまいました。

私は、手に持ったわらび餅を見つめ呆然としながら、ある方との会話を思い出しました。

その方は東京在住の方で、さぬきうどんが好きな方でした。少し濃い目の出汁(だし)に入ったうどんを食べながら、そのさぬきうどんが本物の味だと思っていたそうです。

ところが、香川県へ旅行をして本物のさぬきうどんを食べたとき、出汁が薄く、うどんのコシの硬さを味わい、今まで食べてきたさぬきうどんは偽物だと知ったとか。

世の中には当たり前のように、本物と本物っぽいものが溢れているわけです。

本物だと思って何十年も過ごし、実はそれが代替品であったり偽物であったりする可能性があるのです。

形や見た目がそれっぽいもの、それらが当たり前にありすぎて、本物の方は影薄くなってしまっているのではないでしょうか。

スーパーのわらび餅が悪いのではありません。本物のわらび餅を知りながらスーパーのわらび餅を買うことと、本物でないのに本物だと思って買うこととでは大きく違うのです。

photo by pexels

本場イタリアのオペラ

私の知人に、イタリアのオペラ劇場で長年伴奏を務め、オペラの発声法も習得された方がいます。その方が、日本のオペラついてこんな話をしていました。

「オーディションのために、日本の音楽大学を卒業した方々がイタリアに沢山来られます。みなさん頑張っておられると思います。でもイタリアのプロのたちは、一様にこう呟くのです。

『最後まで歌を聞くことができない。』

それは日本人の歌の分野だけでなく、ヴィアオリンやピアノの演奏者についても同様です。」

「どういうことですか?」

私はその理由をたずねてみました。

「どう言えば良いでしょうか。声や音が硬すぎて、頭にガツンと飛んできて痛いというか。『この素晴らしい私を見て』というアピールが強すぎて最後まで聞くに聞けないのです。音は取れているけれども外見ばかりを繕っていて……。

日本人は「先ずは形から」というのを時々耳にするけれど、逆よ。

音楽を表現すると言うのは、楽曲を作った方の世界観を表現すること。自分の努力や魅せ方を演じるならそれは本物を真似てる偽物でしかない。

本当のオペラは、自分を出さないで作曲家の世界を理解し、その中で演奏することですから。

失礼ながら時々こう思ってしまうのです。あなたの小さな世界を見せないでと。あなたは有名な作曲家プッチーニよりすごいの?と。」

そして最後に、まゆを落としながらこう付け加えました。

「でも残念なことに、日本の音楽大学に入るとそのように教育され、それが本物だと思ってしまうことですね。」

clapyourhands
photo by Unsplash

ゴスペルも同じかも?

ゴスペル音楽は、手拍子をしながらノリノリで歌う楽しい音楽に見えます。

しかし、その見た目だけを抜粋してしまうと、わらび餅のように、似ているけど何か違うものになります。

また曲の歌詞を理解して表現するというより、「練習してきた私たちを見て」という自己アピールだけが一人歩きする場合もあるでしょう。

そうすると先程のオペラのように、「あなたを見たいのではなく、その曲の中にあなたがどんな風にいるのかを知りたいの」と、聞き手からは思われることでしょう。

これは私を含め、ゴスペルを歌う人なら誰にでも起こりうることです。

本当の味を知らずに何年も過ぎていくなんて、もったいないことではないでしょうか。

ゴスペルはその歌詞にこそ、本当の醍醐味があります。

信仰を持つか持たないか問わず、歌詞を知ろうとして始めてゴスペルの美味しさが溢れてきます。

さらにゴスペルの味は、楽しいときにではなく、実は試練のとき、病気のとき、悲しみに打ちひしがれているときにこそ、豊潤な味わいをみせるのです。

そういえば、わらび餅の名産は奈良県だとか。

いつか本物のわらび餅を食べに奈良に行かなければもったいない!

シェアする