FREE
発音:/friː/(フリー)
意味:自由な、無料の、解放された、束縛されていない
Point:ゴスペルでの Free は、罪や恐れ、絶望から解放される自由を表すことが多くあります。
「自由」と聞くと、どんなことを思い浮かべるでしょうか?
私は、「好きな場所へ行ける」「好きなことができる」といった、行動の自由を思い浮かべていました。
例えば、映画を観たいと思ったら、自分の好きな時間に好きな映画館へ行けること。誰にも束縛されず、自分で選べることですよね。
でも、立ち止まって考えてみました。
もしそれだけが自由なら、なぜ私の心の中には「もっと自由になりたい」と感じる気持ちがあるのだろう。
実は、自由にはもう一つの意味があったのです。
それは、心の自由です。
Quotes
アメリカの牧師ティモシー・ケラーは、このように語っています。
「私たちは人生を、何か他のもの ―富、キャリア、家族、名声、セックス、権力、快適さ、社会的または政治的影響力など―のために生きることでコントロールしようとする。しかし、その結果は常に人生のコントロールを失うことになる。つまり奴隷状態となっているのである。」
『センターチャーチ』p.51
世界経済の中心地として知られるニューヨーク州マンハッタン。
やり手のビジネスマンが集うその街で牧師をしていたティモシーだからこそ、見ることのできた場景があったのでしょう。
持っている「もの」「こと」に心が支配されてしまう。それが無ければ生きていけなくなる。
そのことについて、ティモシーは危惧したのかもしれません。
マンハッタンでなく日本でも同じことが言えますね。
たとえ行動の自由があっても、人の目を気にしたり、お金や仕事、将来の安定を追いかけることに
縛られた気持ちになることはないでしょうか。
もちろん努力することが悪いわけではありません。
問題はその努力が、どこから来ているのか。
心が何かに支配され、自由を失った奴隷状態になっていないのか。
本当の自由とは、心が何にも支配されていない状態なのかもしれません。
History
ところでゴスペルが生まれたアメリカでは、奴隷制度という厳しい現実がありました。1600年頃から奴隷貿易が盛んになり、アフリカからアメリカ大陸に連れてこられた人々は、体の自由を奪われていました。
しかし、彼らは “Free at last”(ついに自由になった) と歌いました。
なぜでしょう。
鎖が外れたからではありません。
奴隷から自由を得たわけでもありません。
神が自分を愛し、心を自由にしてくださるという希望を見つけたからです。
黒人霊歌”Free At Last”はその後、1963年、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の「I Have a Dream」演説の結びでも知られるようになりました。
キング牧師は黒人たちの自由と平等を訴えました。
そしていつか自由にレストランに入ったり、自由に投票ができたり、自由に働くことのできたりた日に、「Free at last(ついに自由になった)」と歌うことを待ち望んでいました。
Bible
体は束縛されていても魂は誰にも支配されないと、奴隷たちは歌いました。
心の自由を見つけたとき、人はたとえ体が奴隷状態であっても希望を持つことができます。
私たちには罪によって心が支配される人生ではなく、神を見つめて歩む人生を選ぶ自由があるのです。
イエス・キリストは、新約聖書の中でこう言われました。
「子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になるのです」(ヨハネ8:36)
「子」とはイエスのことです。
この言葉から、3つのことがわかります。
1つは、自分たちが想像している自由とは、体の自由ではないことです。好きな映画館に行けることが本当の自由ではないことです。
2つ目に、本当の自由は自分の力で手に入れるものではないことです。自分が願うまま好きに生きていくことでも、自分の考え方をポジティブに変えることでも、本当の自由を手にすることはできません。例外なく、「子=イエス」が与えられるものだとイエスは言います。
3つ目に、本当の自由とは、心を罪から解放することです。自らの罪の結果、神の罰を受けなければいけない私たち。しかしその罰をイエスが身代わり十字架で背負われた。
であれば私たちは、罪の奴隷として生くのをやめよう。そして神のしもべとして生きていくことを「自由」の中で選んでいく。
あなたは今、自由でしょうか。
もし「何かに縛られている」と感じるなら、
それは行動の不自由でしょうか。
それとも、心の不自由でしょうか。
ゴスペルは、その問いを私たち一人ひとりに投げかけています。