蚤の市で、正義の掘り出し物を見つけた。
日曜礼拝の帰り妻と渋谷を散策していて、「蚤の市」を発見した。出店舗はおよそ40店ほど。食器、装飾品、衣服など主に中古品が販売されていた。いや、呼び方を変えよう。中古品ではなく、「骨董品」「アンティーク」「ヴィンテージ」が展示されていた。1930年代のフランス製食器、ヴェネチアングラス、古いフランスレストランのメニュー、また古きアメリカの飛行士が着用しそうな革ジャンなど多岐にわたる。
蚤の市は、フランス語marché aux pucesに由来するそうだ。pucesが日本語の「蚤」を意味し、蚤の市と呼ばれるようになった。ちなみに英語ではflea marketと言い、free(自由)ではなくflea(蚤)であることにご注意を。
そんな蚤の市で、妻がふと千鳥格子柄のセーターを手に取った。
「かわいいですよね、それ!」
後ろから女性の声が聞こえてきた。存在に気が付かなかったが販売員のようだ。
情熱の理由
ところで私は買い物に行く際、苦手なことがある。それは店員さんから話しかけられることだ。気弱い私は、営業トークに乗せられ買わされる気がしてどうも警戒してしまう。この時も「きたか」と思った私は、軽く笑顔で流すことにした。
妻は次に真っ赤なコートを手に取った。「色々と手に取るとまた店員さん来ちゃうよ」と思った束の間、「かわいいですよね、それも!」と後ろから声がかかる。「ほら言わんこっちゃない」と、次の交わし方を考えつつ不思議な点があった。それは、妻はほとんど服を買わないのにここの服に興味を示していることだ。特に古着の趣味嗜好はないはず。だのに、次々と手に取っている。しかも店員さんが言うように、確かに服は「かわいい」デザインや色使いだ。普通の服とは何かが違うかもしれない。
そう思った私は、むしろ販売員の彼女に声をかけることにした。
「これはご自身で着た服なのですか?」
「いや違いますよ! 自分で買い付けたものです。」
店主が着古したものを並べて売っているのだと思った私はバカ丸出しの質問をしてしまった。そんなわけはない。それだと彼女と同じサイズの人しか買えないじゃないか。気を取り直して。
「あ、そ、そうでしたか……。ところで服はご自身で収集されているのですか?」
「はい! 服を集めるのが好きで。国内や海外に買い付けに行ったりします。」
「一人で!?」
「はい! 一人で! 今日は埼玉から車で運んできました。私一人でやっているので、お値段も安くできますよ!」
太陽が雲の上に隠れていたその日は、暖かい日ではなかった。時間も正午を過ぎていたため、彼女はお昼ご飯も食べ損ねているはずだ。昨晩車に服を積み込み、きっと今朝早く埼玉を出発したのだろう。一体彼女をそこまで動かす力は何なのだろう。
そう思いながらもう一度真っ赤なコートに目を留めた。膝丈のコートは、カシミア100%生地で背中のラインに3本の折り目が入っているデザイン。腕周りに余裕を持たせているため、少々厚手の衣服を下に着ても羽織れるようになっている。あまり見かけないデザインだし、生地もしっかりしている。
「これはいつ頃の服なのですか?」
「おそらく80年代で海外製だったと思います。丁寧に作られているなと思って。これ個人的に大好きなんですよー。」
丁寧に作られている、か。私はデザインで服を買うことはあっても、丁寧に作られているかどうかで選ぶことはない。だから彼女が言った「丁寧に作られているから好きだ」という言葉に、衝撃を受けた。彼女はお客さんが広げたセーターを丁寧に畳みながらこう続ける。
「1980年代90年代とか、それより前って本当に丁寧に服が作られているんですよね。2000年代に入ると一気に大量生産になって、作り方が雑で……。私は良いものを長く着られたら良いと思うんです。そんな服を販売したいんです。」
古着を販売しているのは、それが良いものだから。時代の流行りでなく良いものを長く着られたら良い。大量生産で金儲け主義になり、商品が雑になったものではなく、長く着られて可愛いものを提供したい。
情熱を感じた。
人のためか利益のためか
ちょうど先週、福岡女子大学にいた。英語学習と宗教というテーマで、講義をさせていただくだめだ。講義内では「奴隷制度に賛成か反対か」という議論を学生の皆さんに投げかけた。その中で、奴隷制度に賛成する立場になった学生がこう論術していた。
「奴隷がいた方が売上が伸び、収入が増える。みんなしていることだから悪いことではない。それに奴隷の人には食事と寝床があるわけだから、彼らにとっても満足でしょう。」
論述してくれた方は、個人的にはもちろん奴隷制度に反対のはずだ。しかし、そこで発見したのは、私を含めて自らの利益のためなら、悪に目を閉じ、自分を正当化する心が私たちの中にはあるということだ。奴隷だけでなく、服、食品、レストラン、その他様々な業種において大量に物を売るため人を犠牲にする可能性があるのだ。確かに知恵を用いて製作効率を上げることは大切だろう。しかしそれが「良い製品を人に作るため」なのか「大量生産し自分の利益を上げるため」なのか、目的によって生まれる結果が異なる気がする。
正しい人が持つもの
古着を販売するその彼女は、「Good Things(良いもの)」に注目しそれを人に伝えようとしていた。その情熱から私は、彼女の中にある正義を感じた。世の中と闘い、真実を伝えていくこと。彼女の心は私が「Good News(福音)」を伝える気持ちに似ている気がした。
旧約聖書には、詩篇という書物がある。今から約3000年前に書かれた神への祈り、賛美の歌だ。その37篇を思い出した。
“一人の正しい人が持つわずかなものは
多くの悪しき者が持つ富にまさる。” (旧約聖書 詩篇37篇16節)
服に興味のある方は、この蚤の市に是非。彼女に出会えることを願う。あ、もちろん帰りの妻の手には、初めての古着2着が入った紙袋があったことは言うまでも無い。
【渋谷蚤の市】instagram
⚫︎日時:第二・第四日曜日 10:00-16:00
⚫︎会場:住友不動産渋谷ガーデンタワー(ベルサール渋谷ガーデン)屋外広場
〒150-0036 東京都渋谷区南平台町16-17
⚫︎入場:無料 ※雨天中止